第25球「1点を奪うということ」(2001.6.28)

 先日対戦したチームの代表の方からこんなメールをいただいた。
 「途中で大差がついたのにもかかわらずうちの2番手投手が出てきた時にこのピッチャーから『1点取ろう!!』という声が聞こえてきました。その言葉を聞き、まだ残念ながらまだ我がチームにはそういう気持ち、野球に対する取り組み方がないなあと思いました。」

 勝った負けたの話をしているのではない。これを見て俺は「相手にもこういうのって伝わるものなんだなぁ」と思わずにはいられなかったのだ。これは、実はゲーム中の俺の口癖そのものなのだ。何となく嬉しい気分になった。

 1回の攻撃で1点づつ積み重ねていく、これがベストな攻撃だ、と俺は思っている。打線の爆発などで大量点を奪えれば、それはそれでいいのだろうが、緊迫した試合になればなるほどその可能性は低くなる。従ってコツコツと得点を積み重ねて、逆に1点をやらない堅い守備で勝つということが大切になってくる。逆に、守っていても一気に大量点を奪われるよりも、1点づつ奪われていくほうが、何となく気分が悪い様に思える。試合の流れをがっちり相手に握られていることほど嫌なものはないのだ。

 1点を奪うということは、何もヒットを打って送って返すというそんな単純なものではない。相手投手に1球でも多く投げさせ、内野陣を揺さぶり、ランナーを進塁させていくという心理的な攻防が大きなウェイトを占める。とりわけ、これからの梅雨どきや真夏の炎天下のような厳しい条件下においてはその傾向が顕著だ。つまり「集中力勝負。キレた方が負け」といえるのだ。

 俺が試合中に意識しているのはまさに「集中力勝負。キレた方が負け」この一点に尽きる。声を出すのも、叱咤激励するのも、全力疾走するのもそのためだ。そしてその意識というものは、とりわけ自分自身のプレーにきちんと投影されており、しかも味方にもそして相手にも伝わってくるものなのだと思いたい。そしてそれが「1点」という結果につながれば最高である。

 いつも思うのだが、一番悔しい敗戦は「自滅負け」である。それは1点を取ることを放棄した試合のことを指しているのだ、と俺は思う。攻撃が始まったら、1点を大切に奪いに行く。そんな気持ちを大切に持ち続けたい。