第44球「遊撃手」(2001.10.17)

 誰が名付けたかわからないけど、「遊撃手」というのはいい響きのあるポジションである。もともと、9人で野球をするようになった際に、守備のポジションを決めていく中で、最後の最後にその位置づけが決まったポジションであるらしい。その位置づけとは、「外野と内野の中間に位置する選手」というものだった。ある意味根無し草というか流浪の民というかそんなところだ。

 「中間に位置する」ということは、つまり遊撃手とは「内野手でもあり外野手でもある」選手なのだ、と言えよう。ここが他のポジションと決定的に異なるところだ。従ってそこを守る選手は一にも二にも「内野と外野をつなぐ」という意識を強く持たなければならない。守備機会が多い、というだけで、単に守備の上手な選手を配したとしても、その意識が稀薄な選手を配置した場合、チームとしてはそれがプラスに働かないようにさえ思える。

 毎回書いていることだが、守備の破綻は個人の一つのエラーからではなく、守備陣のコミュニケーションの破綻から始まる。どのポジションでもこれは大事なことであるのは言うまでもないが、守備陣全体を見回したとき、コミュニケーションの中枢となるのは、それは他でもない。遊撃手だ。だから、遊撃手がつなげない守備陣は破綻の第一歩を踏み出すことになるのだ。そこに遊撃手の一番の価値を見出すことができる。

 昨年までユーティリティープレイヤーだった俺が、今年はそのポジションを守らせていただいている。確かに内野陣の怪我人や離脱者が出たのも一因ではあるが、決して守備が上手いわけでもない俺にTWINS首脳陣がそこを任せていただいているのは、まさに「内野と外野をつなぐ」意識を評価されてのことなのではないか、と思っている。だから俺の守備がどうこうという前に、その意識が無くなったら、俺は遊撃手の座を明け渡さねばならないと思っている。逆に俺に代わって遊撃手を守る選手は、その意識を絶対に忘れてほしくない。思ったよりもしんどいですよ、これは。

 ただ、明け渡した瞬間に、俺の守るポジションって、もう無いんだよな…。TWINSも選手層が厚くなってしまったんだよなぁ。痛しかゆしの俺の本音である。