第218球「4番の重み」(2005.6.30)

 4番打者。言わずと知れたチームの主砲である。かくいうTWINSも、その試合において、最も打力が期待できる選手を据える。参加する選手の納得感などを考えると、そうそう誰でも打てる打順ではないことは明白だ。7年を数えるTWINS史の中でも、数名しかこの打順に座ったことはない。むしろ固定された打順である、と言えよう。

 「最も打力が期待できる」という想いは、チーム内に留まらず、自分自身の心の中にもはやり強くあるものであることは間違いなく、「俺が試合を決める」「俺の一打で勝つ」そういう想いは誰よりも強い。それも4番打者の資質であると俺は考えている。それぐらいでないとこの打順は務まらない。それが態度などに表に出るかどうかは別にして、その資質はやはり必須だ。

 ただし、そう思わせるためには、チームのお膳立てが不可欠である。なぜ一番打者が塁に出なければならないのか、二番打者がランナーを進めなければならないのか、三番打者がチャンスを広げなければならないのか・・・それは4番打者に対してお膳立てをするためだ。4番打者が自分の想いを最大限にぶちまけるための場を造るためだ。それがチームにとって最も得点を生み出しやすい「型」なのだ。だからこそ、その回の先頭打者が4番打者から、という攻撃はあまりいい形であるとは言えないのだ。

 前のコラムに「投手に必死に投げさせることができるチームがいいチームの条件」と書いたことがある。同じことが4番打者にも言えて「4番打者に一番のプライドを持って打席に入ってもらう打線」が「型」として最もいい打線である、と言えるのだ。そこをチームの得点源とし、脇を固める打者陣で丁寧に一点ずつ掠(かす)め取るようにさらに得点を積み重ねる・・・。強力打線でなくとも、これぞ嫌な打線なのである。

 淡白な打線にチャンスはめぐってこない。4番に仕事させない打線に得点は望めない。上位打線はもっと泥食ってでも塁に出て、主砲に最高の仕事をしてもらおう。それが打線の持つ大きな力なのだ。こんなこと書くと、逆に4番打者にプレッシャーがかかるのかもしれないが、実際打順というのはそういうものだ、と俺は思っている。4番打者に最高の仕事をさせよう!。