第233球「書きたい理由」(2005.12.19)

 このコラムをなぜ書いているのであろうか、とふと思う。足掛け5年余り何だかんだ言って続けてきた原動力は一体なんだったのだろうか。

 前にも書いたが俺は活字中毒みたいなところがある。何か読んでいないと気がすまない、というか「読む」ことが実に自然な行為になっているところがある。それが新聞であれ、雑誌であれ、小説であれ、文庫であれ、今流行のブログであれ、自分の気持ちにすっと入り込んでくるものを、じっと読みふけるのがとても好きだ。

 逆に、流行情報誌などはとんと読まなくなった。一時は発売日にGETして色々情報を集めていたのに、いつの間にかそういうものから遠ざかった。それは、そういった情報誌に掲載されている情報に乗せられている自分に気付いたからではないか、と思う。結局自分の求めるサブカルチャーにより深く邁進していったからなのだろう。表面的なモノはつまらん、と肌で感じたのだろう。

 それはこのコラムにも当てはまっていて、とおり一辺倒な文章は書きたくなくて、何か自分なりのアレンジや拘りを醸し出すべく、つらつら書いているのだが、その行為自体がやはり楽しいものなのだ。そしてその行為は、意外なほどに自分を曝け出していることに後々読んでいて気付くことも多いのだ。文章を書くときには嘘はつけない。多分俺の本性というか、性格というか、表情というかそういうものが浮かんでは消えているのである。

 そしてもう一つ、このコラム(もっと言うと物書きは総じて)は「求める人たちに向けて書く」ものだ。読むものが無い人、読みたいものが無くて困っている人の琴線を少しでも震えさせることができたら、物書きとして、これほど嬉しいことは無い。打撃論を読んで素振りした、とか、トレーニング論を読んで走ってみたとかそういうのを聞くと無性に嬉しい。そして俺も素振りして腕立て伏せしてしまうのだ(笑)。

 俺がこのコラムを書き続ける理由はこんな小さな喜びを得たいからなのだ。まだまだ書きますよ。