第235球「歩く」(2006.1.11)

 何かに迷うと俺は歩く。何かに悩むと俺は歩く。ただ訳も無く歩く。歩くことで色々と見えてくる部分がある。町並みや風景を見ながら歩くと、色々なことに気付く。空き地に家が建ったとか、あの店が店じまいした、とか、いつもならアタリマエのようにそこにあったものが無くなっていたり、新しい発見があったり。そんなことをしているうちに、チマチマしたことで悩んでいる俺がバカバカしくなってくる。まぁそもそもあんまり悩むタイプの男ではないのだが・・・。

 毎日過ごしているうちに、一つ一つの物事が、あたかも既得権のように感じてしまうことがある。そこに当然のごとく存在しており、これからも未来永劫(とまで言うのは大げさだが)それが続いていく、という錯覚に陥ることがある。彼は必ず毎試合参加するに違いない、とか必ず活躍するに違いない、という風に感じてしまうことって、草野球チームに参加している諸兄は誰しも思うことだろう。しかし残念ながらそれは既得権ではない。

 だからこそ、「歩く」ような、一見単純に見える営みが必要なのではないかなぁ、と思う。細かいことかもしれないが、一つ一つのことに気付き、感謝し、それを意識する。そう考えているうちに、草野球チームがそこに存在し、そこに参加する選手が存在し、そこに楽しい空間ができる。そこに目を向ける余裕を持つ。これは走り続けているうちには、意外に見えてこない部分であって、実はその空間から抜けてしまった(例えば退団とか引退とか)時に初めて気付くことも多いはずだ。

 それではダメだ。早く気付け。それに気付いた上で、自分の身の振り方や関わり方を考えても遅くは無いはずだ。どこの草野球チームもそろそろ活動を始める時期に来ている。太陽のありがたみを感じながらの活動がしばらく続く。今まで歩んできた道のりを今一度見つめなおし、そしてその先にある新たな道を見つけて、一歩一歩歩んでいこうではありませんか。それを踏まえて、今期どっぷり参加してくれる草野球人と、俺は今年もグラウンドでめぐり会いたいと思っている。

 繰り返すが、「歩く」ことが必要だ。そして歩いてきた長き「道のり」をもう一度確認しよう。そうすれば、意外と「いい道」を歩んできたことに気付くはずだ、と俺は信じている。草野球人よ、もうすぐ春がやってくる。