第236球「7回裏まで嫌な打者」(2006.1.16)

 そういやぁ、去年はチャンスで凡退した打席が目立った。数字をはじき出していないので、裏づけは無いのだが、自分の感覚としてここ一番の打席で凡退するケースは確実に一昨年に比べて多かったと確信している。打撃は水物というものの、それではいけない。やっぱり悔しいしねぇ・・・。

 技術論を述べれば色々あるし、言い訳を並べればそれこそ不毛な愚痴コラムになってしまうので、ここは一つ側面からこの事象を斬ってみたいと思う。「ここ一番」のシチュエーションは当然のことながら、試合を決めるかどうかの勝負どころで訪れる。それは往々にして試合終盤、土壇場の場面でやってくる。試合に勝ちたい、決定的な仕事をしたいという想いは年々増してくる。それでも結果が出ない・・・。側面から斬れば、「体力」面にあるのではないか、と思ったりする。

 俺は実はそんなに体力や筋力に秀でているわけではない。数値を見ればごくごく普通の成人男性のそれと大して変わらない。むしろ、スイングのスピード・キレ、スイングの軌道によって勝負するタイプだ。そのスピード・キレ、スイングの軌道が悪くなれば、はっきり言って安全パイの打者に成り下がってしまう。だからこそ、フィットネスだ。試合終盤までそれらを維持できる体力だ。それも勝負どころで使えるまでできるだけ温存しておきたい、もしくはそれを維持したい。これはもはや意地だ。

 何もしなくても、打てる奴がいる。今までの貯金で食えている奴もいる。それはそれでいい。苦労して一本打つことと、量的には一本の安打ということで変わりない。しかし、その一本に普段の生活を削っている男の心意気を乗せた一本は、その男の中に強固なプライドを形成していくに違いない。それが相手チームから見た究極の「嫌な打者」なのではないだろうか。

 俺は今年も嫌な打者で居続けるよ。終盤に行けば行くほど、鈍い光を放つ嫌な打者で居続けたい。ということで年始にサボっていたトレーニングを再開したのであるが、ちょっと走っただけで、すでに青色吐息・・・。今年も前途多難である。