第239球「人生の沸点」(2006.2.20)

 平日ヘトヘトになるまで働いて、それで休日の時間をGETし、野球に参加するってのはどうなのだろうか。「いい加減いい年なんだから、休むことも考えなきゃダメだよ」と言われることもしばしばなのだが、それでも何とかしてグラウンドに向かうその姿はどうなのだろうか。自嘲的に「野球ジャンキー」など称してみたこともあるが、どうもその内実は違うようだ。

 実感するのは、「精神的な疲れと肉体的な疲れは必ずしも比例しない」、ってこと。むしろ、肉体を酷使することで逆にストレスがすっきり無くなったりすることも何度も体験している。実際何も考えずに、ただ白球を追いかけていると、それはそれでいい時間を過ごしているなぁ、と思う。実際野球が好きでよかったなぁ、と思う。それもプレイヤーとして活躍できる場があって、本当によかったなぁ、と思う。

 今回書いた表題は、ある意味極論である。どんなトリガーでもいいのだが、自分自身が熱くなれるもの・ことがあることは非常に重要なことだ。そして、その臨界点というか、沸点をできるだけ高く保つことも非常に重要なことだ。それは日頃の生活の糧であり、平凡な日常のちょっとした刺激であり、その人を司る個性の集約であるからだ。だから、「あいつらの沸点は所詮60℃でしかない。俺の沸点は・・・120℃だ」と自分を正当化(慰め?)してみたりすることもあるだろう。

 ただの自己満足かもしれないが、その沸点があるからこそ、日頃忙しくても、代わり映えしなくても、何とかやっていられるのではないだろうか。それが無くなったら、何だか自分の沸点自体が下がってきたように思えてしまう。一つでも多く、少しでも高い沸点を見つけることが、今の我々に必要なことなのではないだろうか。どんなことでもいい。野球でもいい、他の趣味でもいい、恋人でもいい、家族でもいい・・・沸点下げるべからず。その沸点は我々の生きる太さそのものになってくるのではないだろうか。

 やっぱ野球から離れるオフはこういうことに気付いたり、考えたりすることが多くなってしまう。早く野球中心のコラムに切り替えられるようにしたいなぁ・・・と思う。グラウンドに立てば、こんな理屈っぽいことなんて頭の片隅から消えてしまうものなのだし。